佐藤 普美子(総合教育研究部外国語第二部門)
「戦時の漢語ソネット―馮至の『十四行集』より」
大发888体育_dafa888唯一登录网站-【官方认证】4年度第2回祝祷音楽法要文化講演
(2022年5月13日)
本日はこのような伝統ある音楽法要の場でお話をする機会をいただき、有難うございます。さて講演のタイトル「戦時の漢語ソネット」と聞かれて、「戦時」という閉塞した時代状況と優美な韻律形式をもつソネットがどう結びつくのか怪訝に思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
今日ご紹介するのは20世紀1940年代の日中戦争期に誕生したソネット形式の中国現代詩です。作者の馮至(ふうし、1905–1993)は当時、雲南省昆明の西南聯合大学で教鞭を執っていた詩人でありドイツ文学者でもあります。西南聯合大学は、日中戦争勃発後、日本の占領地区にあった北京大学?清華大学?南開大学の三校が戦火を避け、自由と自治を求めて移動し、雲南省の昆明に合同して建てた大学です。長沙から昆明まで1300㎞ を超える道のりを教師と学生は「徒歩で」2か月余りをかけて移動し、自分たちの授業を再開させました。大学といってもまともな施設や研究設備は何もなく、物質的にはきわめて貧しい大学でしたが、人文系には名だたる学者や気鋭の人材が揃い、理系では後にノーベル物理学賞を受賞する楊振寧など優れた研究者を輩出しています。教員と学生による文芸活動も盛んで、わずか8年余りの臨時の大学でしたが、民主化運動の新たな拠点となり、同時に豊かな学術?批評空間としても機能しました。
馮至という詩人と戦時下の創作
馮至は濃やかな情感と深い思索、沈鬱なトーンを持つ詩篇によって、かつて魯迅に「中国でもっともすぐれた抒情詩人」と称されました。1930年代前半、ハイデルベルク大学に留学してドイツ文学と哲学を学び、当時ナチズムが席巻していくさまを目の当たりにしています。帰国後は戦火の中国各地を転々としながら、1940年代には上述の西南聯合大学で教鞭を執り、そのかたわら詩や随筆、歴史小説を著し、さらに杜甫とゲーテの学術研究でも独特の視点から優れた成果をあげています。このように、戦時下の物質的にも精神的にも最も過酷で困難な状況にありながら、むしろ文学創作と学術研究の両面でいちばん豊かな成果をあげていることは注目に値します。
一般的に、戦争のただなかに置かれた人間の声や思いは、とりわけ抗日戦争のさなかであれば、戦意を高揚させ、抵抗のスローガンを掲げる激高型の詩に表現されるものです。40年代当時そのような戦時特有の勇ましい激情型の詩が優勢になる中、馮至のソネットは「沈思」の詩と言われる、静謐な思索につらぬかれた異色の作品です。1942年に刊行された『十四行集』は厚さわずか数ミリの素朴な装丁の詩集ですが、発表当時から高い評価を受けました。しかも大学生の読者を中心にひそかにテキストが筆写され、手から手へと伝えられたというエピソードがあり、当時いかに新鮮な驚きと共感をもって迎えられたかがわかります。
漢語ソネット小史
西洋由来のソネット形式は早くは1910年代、新詩=口語自由詩を提唱した胡適によって試作されました。20年代には詩人で学者の聞一多が、律詩という中国定型詩の美学的特質を分析する中で西洋のソネットに注目し、エリザベス?ブラウニングの連作を翻訳しています。そのほか、芸術形式を重んじる新月派の詩人たちがそれぞれソネット体を試み、1930年代初めには朱湘がイタリア体、イギリス体のソネットにならい、厳密な脚韻構造をもつソネット詩集を刊行しました。日中戦争直後には卞之琳が抗戦のテーマをソネット体で表現し、音楽性豊かなこの形式が社会性のあるテーマにも適合することを立証しています。
ソネット形式は十四行を基本としつつ、時代や国あるいは詩人により、音節の数や脚韻構造に違いがあります。馮至のソネットはすべて4?4?3?3行の四連で構成され、脚韻構成はABBAという同じ韻を中に抱える「抱韻式」とABABという韻を交差させる「交韻式」がほぼ半々で、27首中同じ脚韻構造のものはありません。一行の字数はほぼ一定で、視覚的には四角い中国旧体詩のような印象を与えますが、統一されているのは字数ではなく音節の組み合わせであり、自然な口語のリズムを作り出しています。
馮至のソネット27首の構成
もともとソネットは一つのテーマをめぐる連作が多く、馮至の『十四行集』も「実存」的問いがテーマとなります。全体はおおよそ3つの部分から構成されています。まず詩はどこから生まれるか、詩作の源泉をうたうプロローグ部分、そして最後は詩的言語の可能性を示唆するエピローグ部分となっていて、その中間にはさまれた中心部では「生=存在」をめぐる認識を主題(A)経験的なものから、主題(B)思弁的なものへと変奏させています。
今日は中心部(B)群:人と人、人と自然の関係性、過去-現在-未来の相互作用を思索するソネットの中から、特に3首を選んで紹介します。
私たちはよく親密な夜を過ごした
なじみのない部屋で、それは昼間
どんなすがたか知りようもない
ましてその過去や未来など。原野は
果てしなく私たちの窓の外に広がる
ただかすかに覚えているのは黄昏に
来た道、それがどうやら知りえたこと
明日行けば、私たちは二度と戻らない
目を閉じよ! あれら幾つかの親密な夜
そしてなじみのない場所を心に織りこもう
私たちの生命はまるで窓の外の原野のよう
ぼんやりとした原野に私たちは見いだす
一本の樹、湖水のひとすじの光、それは果てしなく
忘れられた過去、おぼろげな未来を隠している
詩の背景には、戦火をくぐりぬけ、中国各地を転々としなければならない不安な日常があります。詩中で「原野」という語が3回繰り返され、茫漠として捉え難い人生の行路を象徴し、「なじみのない部屋」は異郷の粗末な宿を連想させ、「親密な夜」は単に愛し合う二人だけではなく、例えば防空壕の中で居合わせた人たちと共有した切実な時間をも暗示しています。
果てしなく広がる原野を進みながら、そこで偶然出逢った人や初めての場所を、心の風景に変えていくのは人間の記憶力と想像力です。第3連の「目を閉じる」と「織る」という日常的な動詞を用い、ゆっくり時間をかけながら、異なるものを融合させて一つの固有の詩空間を作りあげていく意味をうたいあげています。次の詩は、戦時の嵐と緊張、切り裂かれる不安に抗い、抱擁しあう人と人をうたったものです。
私たちは狂風暴雨に耳を澄ます
私たちは灯の下こんなにも独りで
私たちは小さく粗末な部屋にいて
回りの道具との間にさえ
幾千万里の距離が生まれる
銅製の暖炉は鉱山の露頭に思いを馳せ
磁器の急須は河辺の陶土に思いを馳せる
それらはまるで風雨の中を飛ぶ鳥のよう
おのおのばらばら。私たちはきつく抱きあう
まるでわが身さえままならないように
狂風はあらゆるものを上空に吹きいれて
暴雨はあらゆるものを泥土に浸みこませる
ただかすかな赤い灯火だけが残され
私たちの命の仮の宿りを証している
同詩は全27首の中で最も緊密な構成を持つ一首です。冷/暖、硬/軟、広/狭、暗闇/光明といった感覚的イメージ、さらに拡散/凝集、上昇/下降という動態的なイメージ、これら対照的イメージが詩的テンションを生み出し、有機的統一感を生んでいます。中国古典詩にしばしばみられる対偶表現もここでは決して陳腐にはなりません。詩中で「私たち」という第一人称複数形が6回繰り返され、「あなた」と「私」はそれぞれ永遠に単独で脆弱な個体であると同時に、歴史と社会から切り離せない運命共同体であることが強調されています。最後に親しみやすい一首を紹介します。
半月続いて雨が降った
君たちは生まれてこのかた
じめじめした陰鬱しか知らない
ある日突然雨雲が散り失せ
陽の光が壁いっぱいを照らす
私は見た 母犬が君たちを
陽ざしの中へくわえていくのを
君たちに全身で
初めての光と暖もりを受け取らせ
陽が沈むと、母犬はまた
君たちをくわえて帰る。君たちは
覚えていない。だがその経験は
未来の吠え声に溶け入るだろう
君たちは深夜に吠え光明を出す
母犬と子犬の関係性のイメージがいきいきと浮かびあがる作です。小犬たちにはその記憶がなくても、身体に刻まれた感触の記憶―光と暖かさ―は彼らに明るいもの、すなわち希望への志向を忘れさせないとうたいます。前の世代の愛情により無意識のうちに身体に刻まれた「光」の記憶はこうして受け継がれていくというのは、個体の生は有限でも精神の連続性を宿すという、希望にも似た認識です。母犬と小犬という素朴なイメージを用い、身体記憶による精神の継承を表現した点に新鮮な趣向があります。
馮至はソネットを書くきっかけをのべた文章の中で、この形式が主観的生活体験を客観的理性に昇華させ、さらに理性の中に深い感情を潜ませることに向いていたとのべています。またしばしば言われるように、十四行の4?4?3?3という分行法が、ちょうど中国伝統詩歌の絶句形式〈起?承?転?結〉に対応しているため、各首の主題を展開する上で効果的でなじみやすい詩型であったこともあるでしょう。
結びに―響く詩へ
二十世紀にはいり、ソネットはリルケやオーデンらによって、哲学的、社会的テーマを表現しうることが広く認知されるようになりました。中国には、数千年の詩歌の伝統があり、漢語の性質からしても、ソネットを受け入れ、さらに独自のものに発展させていく十分な文学的土壌があったと考えられます。
馮至のソネットはリルケの1922年の「オルフォイスへのソネット」に啓発され生まれたものですが、難解なことばは一つもなく、日常的なイメージと自然な韻律によって、抒情性と思弁性をもつ中国現代詩のひとつのモデルとなりました。
このソネットは、戦時の大音声にかき消されそうになりながらも「思索の声」として生き延び、約八十年を経た今でも、私たちに、人と人、人と自然、過去―現在―未来の相関性と相互作用をあらためて考えさせる「沈思の詩」といえるものです。ソネットの語源は「響く詩」です。馮至のソネットも時空を超えて「響く」詩として、今、この時代を共に生きる私たちに、かすかながらもその声を伝えています。
ご清聴、どうも有難うございました。