矢野 秀武(総合教育研究部文化学部門)
「タイにおける仏教教育の新たな試みと王制ナショナリズム」
大发888体育_dafa888唯一登录网站-【官方认证】6年度第5回祝祷音楽法要文化講演
(2024年11月15日)
1.はじめに
この度は、祝祷音楽法要の場におきましてお話をさせて頂くという貴重な機会を頂けましたこと、皆様に感謝申し上げます。
さて、本日は、3つほどお話をさせて頂きたいと思います。
まず1つ目は、2002年以降のタイにおける新しい仏教教育に関してです。これは私が2006年と2010年におこなった調査に基づくものです。
そして2つ目が、この新たな仏教教育の背後にある思想的な源泉についての話です。タイで著名なある僧侶のことをお話いたします。
そして3つ目ですが、これは先の1つ目と2つ目の話が、現在の王制ナショナリズム?権威主義的な統治体制とつながっているという話です。現代タイの大きな問題にも関わります。
なお今日の講演内容は、若者への教育の効果といった話ではありません。むしろ、教育を行う大人の側の思考の枠組みや問題点に注目します。
細かな話に入る前に、まずは基礎情報から簡単にお話いたします。また、細かな情報や引用文献などの詳細につきましては、添付の資料をご覧ください(資料は当日配布したものを一部修正しております)。
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ご存じの方も多いと思いますが、タイは東南アジアの大陸部に位置している王国です。日本からは飛行機で6時間程度の距離です。人口は約6,600万人。日本の半分くらいの人口です。宗教の面からみると、仏教徒が人口の約94%を占めます。仏教といっても上座部仏教が主流で、大乗仏教徒は極めて少数しかおりません。第2の宗教人口は、約5%を占めるイスラームです。
上座部仏教というと、日本ではあまり知られておらず、誤解をされているところも多々あります。例えば、小乗仏教で僧侶だけが悟れるとか、出家者が世界と隔絶して修行しているようなイメージとか、あるいは在家者はお布施をして功徳を積むだけのような、「誤った」あるいは「偏った」イメージがあると思います。詳細は省略しますが、今回の発表内容から、実情はこういった理解とはだいぶ違うのだとご理解頂けるのではないかと思います。
さて、もう少し基礎情報をお話ししましょう。タイの経済についてですが、本日の発表にも多少関わることでもありますが、タイは経済発展の著しい国の1つです。現在の主要産業は製造業になっており、機械、自動車、電機機器などの輸出を行っております。しかもその輸出先の第3位が日本となっております。タイと言えば以前は農業中心の国でしたが、現在は大きく様変わりしております。首都バンコクは、高層ビルが林立する都会になっております。私はそこに延べ5年間くらい住んでおりました。
タイの政治の概要もお話しておきましょう。タイは立憲君主制で、しかも国王を元首とする民主主義体制という特殊な体制を持っております。国王の影響力がかなり強い国で、現在は王室が軍とも繋がっております。また、宗教と政治の関係が非常に密になっております。例えば、サンガ(僧団)を国が支援していたり、その僧団の管長、タイ語でサンカラ―トというのですが、国王がこのサンカラートを任命する権限を持っていたりします。さらに本日の話に関わることで、公教育においても上座部仏教の科目が必修科目になっております。ただしムスリムに対してはイスラーム教育がなされます。
本日お話しするのは、こういった政教関係が十分に分離されていない国家体制に関するものとなります。そういった政教「非」分離の国はめずらしいのではないかと思われるかもしれませんが、実は政教分離の程度が弱い国々は、現在、世界各国の3分の2程度あると言われております。従って、現代の様々な国の理解という点からしても、政教関係というのは重要なポイントになってくるわけです。またこういった研究は、戦前の日本の国家神道体制の考察にも、新しい視点を提供する可能性があるでしょう。
2.「仏教式学校プロジェクト」と「善徳プロジェクト」
それではここから本題に入っていきたいと思います。今回は2つのプロジェクトのお話をいたします。それは「仏教式学校プロジェクト」と「善徳プロジェクト」と呼ばれる、政府?国の関わる教育プロジェクトです。これらは2002年以降の公教育における新しい運動の一部です。そのような運動が展開された背景には、1999年に新たに制定された「国家教育法」がありました。この法律は、当時のタイにおけるグローバル化時代への対応として制定されたものです。タイが急激に経済成長していくなか、教育のあり方を変えようというものです。しかし他方で、伝統保持のナショナリズム教育も行うべきという立場も強くありました。そういう状況の中、教育省が「基礎教育カリキュラム」を策定し、仏教であれば仏教学習内容のカリキュラムなどを再編していったわけです。この過程において「仏教式学校プロジェクト」や「善徳プロジェクト」など、本日お話する事例が出てきたわけです。
まず1つ目の「仏教式学校プロジェクト」についてご紹介いたします。この活動の目的は、仏教の教えを教育現場に生かした、そういう学校づくりをしていこうというものです。推進組織は教育省が中心になっています。参加登録校は2006年の段階では20,000校を超えていて、だいたい全学校の63%くらいになります。現在、先月の数値は、22,000校を超えていましたので、おおよそ70%ぐらいではないかと思います。中学校からの参加が最も多く、このプロジェクトに学校全体で関わることもありますが、参加希望の学生?教員だけが関わるケースもあります。
中心となる活動内容は、仏教知識の学習ではありません。それを軽視はしませんが、仏教知識の学習は、公立学校で以前から実施されております。したがってこの活動の眼目は、「仏教を学ぶ」ことではなく、「仏教で学ぶ」というスタンスにあります。あらゆる学習を、仏教を用いて学んでいくというものです。彼らの言葉で言えば、戒定慧の三学の実践として様々な学業を実践するということです。戒定慧というのは、簡単に言えば、戒というのは適切な言葉とか行動を行うという訓練です。定は安定した心の訓練。慧は正しい物事の捉え方をする訓練といえるでしょう。そういう形でいろいろな学習に応用していくわけです。少し分かりにくいと思いますが、別な言い方をすると、仏教を基盤としたホリスティック教育の試みとも言えるでしょう。
少し事例を紹介いたしましょう。初歩のレベルは、学校での読経や瞑想、仏教儀式の作法の学習、課外授業での仏教道徳キャンプなどが行われています。ただしこれらは以前からやっていることなので、きちんとできるようにしましょうというものです。
このプロジェクトの特徴といえるものは、それ以降になります。応用レベルの一段階目として、各教科を仏教の観点から考え、教えるという実践に取り組みます。基本的理念としてあるのは、勉強をするのは自分の将来の安定や成功など、広く言えば自分の欲望を満たすことではなく、仏教的に見れば、善き行いを支えるためなのだということです。
そして、社会科、美術、体育、部活動といった、様々な教育活動にこの理念が応用されます。例えば、私が実際に目にしたケースとしては、美術の時間には、単に絵を描くのではなくて、仏法用語や資源再利用などの目標を掲げて、それに関するポスターを描くということ、また課外活動の理科クラブで、手に障害のある方が使えるようなPCマウスを開発してみようといったことなどが、実施されます。仏教式学校プロジェクトでは、雑誌も刊行し学校に配布しているのですが、その表紙には例えばリサイクル活動の写真なども掲載されています。
次に、さらに高いレベルの実践、応用レベルの第二段階ですが、ここでは社会集団レベルの問題の解決に挑みます。そして、それを通じて、学校を中心にして、寺院?家庭?地域社会のネットワークを再活性化していこうということが求められて行きます。現在のタイは、お寺に来ない大人の人、仏教に無関心な人も増えていますので、お寺を中心に様々な活動を展開しても、人が集まるとは限りません。しかし、社会を良くするための活動を子どもたちが行うのなら、多くの大人が協力してくれます。親も関心を持ちます。寺院や仏教との接点もそこから新たに生まれます。つまり子どもの社会活動教育というものをインセンティブにして、仏教?寺院、教育、地域をつなげ、地域社会の活性化を目指すわけです。ソーシャル?キャピタルを作り出す試みと言ってもいいでしょう。
例えば、近隣村落で実践されてきた生活の知恵を学生たちが聞き集め、整理して印刷し、村人に配布して共有していくという活動を行ったグループがありました。より大きな社会問題に取り組むケースもありますが、もちろん中学生や高校生が行うわけですので、なかなかうまくいかないこともあります。指導していた教員が異動するということもあります。
そういった問題点について、私がプロジェクトのアドバイザーに質問してみましたところ、次のように回答をいただきました。「問題解決に至らなくてもいいのです。むしろ問題の解決がうまくいかなくても、結果に過度にこだわらないことが重要なのです。失敗したり、指導者が変わったりすれば、また一から始めればいいだけのことです。プロジェクトの目的は問題解決自体ではなく、個々人が善き人として成長?発展することですから」。こういった考え方が根幹にある点は、仏教的な理念に基づく運動の特徴を感じさせます。
もう1つ、「善徳プロジェクト」という同じような活動があるのですが、これは先ほどの仏教式学校プロジェクトの応用レベルの第二段階が中心となります。しかもその実践を国王崇敬と結びつけ、さらに全国コンテスト化していくといった活動です。優秀な活動に対しては王室が表彰をします。「善徳プロジェクト」と題された、活動概要を解説した書物があるのですが、その副題は「御盛栄のための善行事業 タイの若者は善行を王様に捧げます 智慧に基づき協力し、善き行いを実践しましょう」と書かれています。
このプロジェクトでは学生自身で計画書を作って助成金を申請します。教員などがアドバイザーで付きますが、基本的には学生自身で活動を管理するわけです。学生向けの科研費のような感じなのです。また、学校を中心に地域?家庭?地域社会のネットワークを再活性化する活動が奨励されています。そういった善い行いを、王様に捧げると表明するわけです。私の調査当時は、前の国王が存命中で、この国王は多くの国民から崇敬されておりました。ですから、国王のために善行を行う、つまり国王をお手本にして、自分自身が良い人間に成長していくことをお見せする、それが活動のインセンティブになっていたわけです。
活動事例としては、例えば、寺院に放置された犬や猫の世話を学生たちが率先して行うといったものがあります。これはお寺と関わらなくてはできません。もちろん学校も関わります。しかしそれだけではなく、市役所や保健所などとも関わらなくてはいけません。そういう形で学生たちが社会といろいろな交渉をしていくわけです。もちろん社会の方も、子どもが頑張っているのだからということで手を貸してくれます。活動を通じて地域社会?寺院?学校のつながりができていくわけです。他の事例としては、性暴力被害を減らすための女子学生による活動もあります。またタイ南部では様々なテロ行為があるのですが、その被害者への支援を仏教徒とムスリムの学生が共同で実施する活動などもあります。
タイでは近年、こういった革新的な新しい仏教教育がなされてきたのです。では、いったいこれはどのような経緯で生まれてきたのでしょうか。その点を次にお話しします。
3.仏教教育への学僧パユットー師の影響
国のこういった教育プロジェクトは、民間の仏教教育運動に源がありました。私立学校(小中高)において仏教式教育の試みがはじまり、その関係者の紹介により、行政プロジェクトとして導入されたわけです。ではこのアイデア自体はどこから来たのでしょうか。それはこういった私立の仏教式学校の運営者に影響を与えたタイの学僧たちが、特に「パユットー師」という人物の影響によるものでした。
パユットー師は現代タイの著名な学僧で、いわばタイ仏教界のご意見番とも言える僧侶です。タイ国内だけでなく国外でも知られており、日本でも邦訳書が何冊か出版されております。パユットー師は、パーリ語の三蔵聖典や註釈書に非常に熟達をしているだけではなく、教えを現代社会の文脈を踏まえて解説するということを行ってきた学僧です。
例えば、無常?苦?無我、そして縁起といった、「自然」や「存在」についての仏教的な理解を基本に据え、さらに今の時代の私たちが仏教を実践するということはどういうことなのか、どのように善く生きるのか、自己の善き成長?発展とはどのようにあるべきかを説いています。先に「仏教式学校プロジェクト」で述べられていた、社会問題の解決がうまくいかなくてもこだわらず、一からやっていくだけ、というものは、まさに無常の世界において、過度なこだわりで苦を生み出すことを避け、しかし善き事を実践し発展することを重視するといった、パユットー師の仏教解釈が影響しているわけです。しかもその実践は出家者だけではなく、在家者の実践としても重視されています。
私自身もタイの仏教を学ぶときは、パユットー師の著作を重視します。また今のタイの公立学校の仏教の教科書にも、パユットー師の思想が反映されています。他にもいろいろなところで影響を与えている人物です。そういった影響力のあるパユットー師の仏教解釈を基本として、革新的な仏教教育運動が民間に生じ、その後行政レベルに展開していったわけです。しかしこのような運動の展開には、そこに内在していた問題が、近年表面化してきました。その点について最後にお話しをいたします。
4.王制ナショナリズムや権威主義的統治体制との接続
この問題は、現在のタイにみられる王制ナショナリズムに関する問題です。近年、王室の在り方を批判するなど、王制ナショナリズムと権威主義的統治体制への批判を公に語る人々が現れました。体制側は、それを弾圧し、不敬罪で逮捕?起訴するということも起きています。こういった問題について、タイの宗教界はなかなか意見を述べることはできません。もちろん仏教式学校の諸プロジェクトはこの大きな社会問題に触れずにやりすごすことになります。もしくは王室崇敬を掲げることで、矛盾を広げてしまう可能性もあります。
これは国の教育プロジェクトであることの限界だと思います。仏教教育に国が関わる場合、現在では王室崇敬がそこに必ず組み込まれてきます。例えば、「仏教式学校プロジェクト」の高度なレベルの活動には、2015年から王室による助成金の下賜が行われるようになりました。「善徳プロジェクト」にいたっては、プロジェクト発足当初より、国王に善行を捧げ王室から栄誉を与えられるというシステムを強調してきたわけです。このことは軍ともつながりの強い国王派による権威主義的な政治体制を間接的に維持していくことになります。それに反抗すると、王室不敬罪という形で政治的に弾圧されていきます。
そういった中で、2020年に画期的なことが起こりました。王室改革を求める学生デモが、大学生や高校生を中心に広がったのです。しかし翌年にこのデモの主導者たちや弁護士が拘束されました。これに対し、釈放を求めるデモもさらに拡大するといった事態になりました。その翌年2021年の11月には、王室改革を掲げるデモ活動は憲法違反となり、逮捕者たちは起訴され有罪になっていくわけです。他にも同様な問題がいくつも起こっています。28歳の女性が王室に関するアンケートを実施したのですが、この行為により不敬罪として逮捕されてしまいました。この女性ですが、今年の5月に刑務所の中で不敬罪見直しを求めるハンガーストライキを行い、亡くなってしまいました。28歳ということは私がちょうどプロジェクト調査をしてた時に中学生ぐらいだった方です。もしかしたらどこかですれ違っていたかもしれません。さらには、若い世代を中心に王室改革を掲げた選挙活動が展開されました。今度は国会での法改正を目的にしたものです。その結果、選挙戦で第一党となりました(2023年5月)。しかし今年(2024年8月)には、司法による政治的判断もあって解党命令の判決が出されております。若い人たちの声はますます無視されていくといった感じです。
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さて、そろそろまとめに入ります。パユットー師の思想に共鳴した、民間の教育者による宗教的教育運動が拡大し、それが王室崇敬に接続しながら、行政レベルの教育プロジェクトとして制度化されていきました。しかしそのプロジェクトに参加していた世代の若者たちが、後に王室改革運動に乗り出すことになったわけです。背景には国王の代替わりも影響していたと思います。もちろん、今の王制を維持したいという人たちもたくさんおります。2つの意見がぶつかり合っている状況です。
改革運動に対しては、政治的な力を持った司法の判断と不敬罪の取り締まりが行われていきました。この社会問題に関して、仏教式プロジェクトの関係者は、王室崇敬以外に何か言えるわけではありません。
つまり、個人的レベルでの善き思いとか善き実践が、社会レベルでの暴力に繋がり、苦しみを生み出していくこともあり得るわけです。少し研究者的な言い方をするならば、無常?苦?無我、縁起の思想は、タイの近現代的な自己イメージの形成にどう影響したのか、そしてそれが国王崇敬や権威主義的な統治になぜ繋がっていくのか。他の選択としてどういうものが可能なのか。といった課題があるわけです。
私はそういうところを研究してきましたが、最近そのような研究にも危うさを感じています。今年の8月にタイの閣議で「宗教、文化、伝統習俗、人倫をめぐる問題を孕む学術研究の基準と倫理規範に関する政令」が承認されました。政府が倫理的に反すると判断すれば、学術研究でも中止できるということです。私の知り合いのタイの先生たちが、これからどうなるのかとても心配ですし、私自身も本日お話ししたようなことについて、タイ現地でインタビューをした場合、問題視されるかもしれません。さらに大きな問題とならないことを願いながら、本日のお話を終わらせていただきたいと思います。ご清聴いただきどうもありがとうございました。