?谷 敏治(文学部地理学科)
「ドイツ分割?再統一と鉄道交通」

大发888体育_dafa888唯一登录网站-【官方认证】7年度第3回祝祷音楽法要文化講演
(2025年6月13日)

I. ドイツ連邦議会選挙

鉄道交通についてのドイツ分割と再統一問題を議論する前に、ドイツ連邦共和国成立以降のドイツ連邦議会選挙結果を概観してみたい。多数の政党が並立した国家成立期を経て、1960年代に入ると2大政党制が確立した。キリスト教民主?社会同盟(CDU?CSU)と社会民主党(SPD)のいずれかが第1党となり、中間的な立場の自由民主党(FDP)と連立政権を樹立する時代が長く続いた。その集大成が1990年の東西ドイツ再統一であった。この間、環意識の高まりを受けて、1980年代に緑の党(Bundnis90/Die Grunen)が議席を獲得するようになる。

2000年代に入ると、1990年の再統一後もなかなか縮小しない旧東?西ドイツ間の格差への不満が高まり、対EU諸国、対EU外諸国との問題、難民問題などが顕在化して、既存政党に対する支持率が低下するようになった。他方、自国第一主義を主張するいわゆる極右政党のドイツのための選択肢(AfD)が国民の支持を集め、2025年の選挙において、第2党となった。

II. ドイツ統一と分割と再統一

統一国家としてのドイツ帝国の成立は1871年と遅かったが、その後急激な発展を遂げた。しかし、第一次?第二次世界大戦に敗れ、第二次世界大戦後は、イギリス?フランス?アメリカと旧ソ連の4か国分割統治を経て、1949年に旧ドイツ連邦共和国(BRD)と旧ドイツ民主共和国(DDR)の2つの国家に分かれることになった。その後旧共産圏の経済破綻、旧ソ連の解体を経て、1989年のベルリンの壁崩壊以降、旧東?西ドイツ再統一問題が現実になった。その過程で、再統一の手続を、当時の西ドイツ憲法に相当するドイツ基本法の23条と146条のいずれに準じて行うか議論された。前者は旧西ドイツによる旧東ドイツの吸収を意味し、後者は対等な立場での再統一を意味する。結果的には23条による再統一が選択され、ドイツ連邦共和国が存続することになった。

III. ベルリン都市圏とドイツの長距離鉄道ネットワーク

このような国家体制の変遷の中で、鉄道交通はどのように変化してきたのか。ロンドンやパリなどと同様に、ドイツの鉄道建設は、首都ベルリンと各地方を結ぶ私鉄として進められた。その結果として、ベルリンには行き先の地方別に、多くのターミナル駅が建設された。第二次大戦後首都ベルリンも4か国に分割統治され、東?西ドイツ時代には、ベルリンも東西に分割された。さらに、1961年にはベルリンの壁が建設され、長距離鉄道路線は必要と判断された一部の路線を除き分断され、背後の路線を失った西ベルリンのターミナル駅は解体された。残された路線については、ベルリンの壁通過地点に、厳重な監視設備が設けられた。都市圏の近郊路線、地下鉄路線も分断され、西ベルリンの路線については、壁の中だけに限定されたネットワークとされたが、フリ-ドリヒ通(Friedrichstrasse)駅に、東西近郊路線を結ぶ検問所が設置された。

他方、旧東西ドイツ間の鉄道路線については、約50か所で東西ドイツの境界線と交わることになり、必要と判断された路線以外は、ベルリンの場合と同様に分断された、その結果、旧東?西ドイツを結ぶ路線は10足らずとなり、国家再統一までの30年以上にわたって、抜本的な改良や電化もされることもなかった。国家の分割にともなって、鉄道も旧西ドイツのドイツ連邦鉄道(DB)と、旧東ドイツのドイツ国営鉄道(DR)となった。

1990年のドイツの国家再統一を受けて、EU拡大、EUの新たな交通政策が同時的に進行し、鉄道交通については国家経営からの独立、インフラと運営の上下分離、国家間とくに東方との連携強化、高速鉄道の整備、自動車からのモーダルシフトなどの目標が示された。ドイツの鉄道交通に関しては、国家再統一後、疲弊していた旧東ドイツの鉄道網の近代化と再整備が進められ、東西格差を縮小した上で、1994年に東?西鉄道の再統一と民営化が実施された。さらに、1991年以降高速新線建設と在来線の改良が進められ、時速200km/h以上で営業運転が可能な高速鉄道網が整備された。首都ベルリンと旧西ドイツの主要都市間、ベルリンと旧東ドイツ地域内、ケルン?フランクフルト間などが、重点的に整備された。その結果、従来のIC(InterCity)?EC(EuroCity)のICE(InterCityExpress)による置き換えと、そのネットワーク拡充により、高速鉄道を中心とした今日の鉄道ネットワークが形成された。

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