秋田浩一監督インタビュー後編~44年の歩みとサッカーで人を育てる~
駒澤大学サッカー部のコーチ、そして監督として44年間にわたりチームをけん引してきた秋田浩一監督。その長きにわたる歩みへの感謝を込めて1月30日に「秋田浩一先生 退任記念感謝の集い」が行われた。
本記事では、この節目にあたり、秋田監督に44年間の監督人生の歩みと、指導に向き合う姿勢、選手たちへの思いや大切にしてきた考え方について話を聞いた。
今回は、後編をお届けします。

○ 世界を見て見つけた「人を育てるサッカー」
ーー1996年、イングランド?オランダ?イタリアでの海外研修で得た学びとは
「技術も戦術もとても大事だが、それが一番ではないということを学んだ。当時は、技術が何より大事だと思っていた。だが、例えばアヤックスでは、ただサッカー選手を育てるのではなく『人間を育てる』という明確な理念がある。だから、子供たちに道徳や生き方を教えるし、やって良いこと悪いことも伝える。また、子供たちと話す時には子供と同じ目線に立つ。それが日常茶飯事で行われている。世界にはこんな素晴らしいクラブがあるのだと感じた。日本では『ふざけんなよ』と正座させたり、ハーフタイムにダッシュさせたりすることがある。それだと、せっかくサッカーが好きな子が嫌いになってしまう。しかし、そうではないということをアヤックスを見て強く感じた」
ーー「ベストポジションフットボール」の理念もそこからか
「それは、アヤックスそのもの。良いポジションを早く取ればやられないし、守備も攻撃も有効になる。ものすごく走らなくていい」
○ 黄金期とチームの覚悟
ーー 駒大サッカー部は総理大臣杯3連覇、インカレ3連覇を達成するなど2000年代前半は大学最強とも呼ばれていました。当時のチームの強さの源はどこにあったか
「一人一人の思いや責任感、仲間の分までプレーするということを含めて、チームとして意識が強かった。言ったことに関して10じゃなくて11、12もやろうとする。『どうせやるなら良い思いしよう、みんなで感激しようよ』って。厳しい練習もみんなでやって乗り越えるから喜びも倍増する。一人ではなくく、みんなで歓喜するからもっと楽しいし、嬉しい。それが学生スポーツの良さだと再確認した」

ーー教え子の巻誠一郎さんは06年ドイツワールドカップにも出場しました。教え子がワールドカップに出場する未来は想像していたか
「日の丸を背負う選手も育てたいという夢は、密かにあった。彼は努力したし、大学ではヘディングに競り勝つ打点や入り方、体の使い方、もらい方も大学3年生になってすごく上手くなった。陥没骨折したり、何回も救急車で運ばれたけれど、ちょっと入院して帰ってきて、次の試合にちゃんと出てる。やっぱり『超人』だと思う。弟の佑樹もドラガン?ストイコビッチ監督(名古屋=当時)が『どんなボールが来ようが、ポストが迫っていようが彼は絶対に逃げない』と言っていたように、兄弟共に直向きな姿勢がすごかった」
○ サッカーを通して伝え続けた人間力
ーー秋田監督のミーティングで、長年変わらず大切にしていることとは
「ミーティングはずっと変わらない。戦術、技術の話はほとんどしない。チームへの思いや自分の思いを話す。その思いを達成するために何をやるべきなのかを伝える。子どもたちに良い思いをさせるには自分も勉強しないといけない」
『教えることは学ぶこと、学ぶことを止めたら教えることも止めなきゃいけない』

ーー指導の中で、学生たちに最も伝え続けてきた「人としての姿勢」とは
「人としてあるべき姿だと思う。人間であり、駒大の学生である、それが一番大事。ただサッカーがうまいだけでなく、そうした全てを含めて受け入れられる人になってほしい。そうすると、必然的に優しさも生まれる。相手の気持ちを分かってあげたり、汲んであげたり。そういう滲み出てくる人間性とか美しさが、僕は好きだし大事だと思う。だから最初は真似でもいい。色んな経験を積む中で、時には『違うよ、それは間違ってる、ちゃんと謝る』って言ってあげることも優しさ。それを言える仲間であってほしいし、言われたらちゃんと受け入れられる仲間であってほしい。だから喜びも倍増する」
○ チーム再建、「やってよかった」と思える4年間に
ーー黄金期後、チームは思うように結果が残せない時期もありました。その期間をどのように捉え、どのように立て直していったか
「特別なことはしていない。ただ、その当時はチーム内に『楽しくやればいい』という雰囲気があり、それを立て直すためにミーティングを重ね、何が大切なのかを徹底的に話した。2部に落ちたり1部に上がったり、たまに優勝したり。それもまた人生だと思いながら。でもこの子たちが『4年間サッカーをやって良かった』と言えるようにするためには、楽しいだけではダメだと感じていた。だから、いろんな本を読んだり、自分の経験から考えた。楽しむことも大事だが、子供たちはやはり勝ちたい。じゃ、勝つためにはこれもやらないといけないよと伝えると 『やります』ってみんな言う。『あなたの良いところはココだから、こうやっていくんだ』と伝え、理解できなければ『まずこういうことから始めよう』と伝える。人が見ていようが見てまいが、やると約束したことをやってくれる。僕にとってとても嬉しかった。そういうことをやってくれる子がまた出てきて (チームとして)少しずつ階段を上れるようになった」
「そういう意味では、今年は成長が大きかった。別に型をはめてというわけではなくて、一人一人が自分は何が得意で、一番チームのために何をするのかと考えることが大事。みんなが一緒でイコールじゃなくていい。凹凸があってもテトリスみたいに、それぞれが努力すればはまっていくから。そのほうが面白い。人間らしく、チームであり続けることが、勝ちにつながると思う」


ーー秋田監督にとってサッカーとは
「やはり『人生の友』だと思う。もう一度監督するとしても、思いは変わらない。ただ、時代と共にサッカーも変わっていく。ただ、それは便宜上の問題で、やはりサッカーは点を取るゲーム。だからそこを追求し続けたい」
○ 44年の歩み、これからの駒大サッカー部へ
ーー駒大での44年間の指導者人生を振り返って、今率直に感じていることは
「楽しかった。山あり谷ありだったが、その都度考えて乗り越えたり、乗り越えられないも時もあって、回り道もした。何が正解かじゃなくて、その時々に合ったものを探しながら、歩む過程が楽しかった。僕を成長させてくれるし、みんなが学ばせてくれる。いろんな人と出会えたし、本当に良かった」

ーーこれから挑戦してみたいことは
「 陶器づくりか、植物を育てるか...現実的には野菜づくりぐらいかな(笑)」
ーー駒大サッカー部の現役生へ
「自分らしく、頑張ってほしい。自分に勝つことができる人間は負けることを知らない。勝負に勝つということではなく、自分の生き方を決める。たとえ失敗してもくじけず、またやり直せばいい。自分の足で立ち上がって、誰かに手差し伸べられても多少血出たって、治して前に進む。人生の勝ち負けではなく、自分の生き方に価値を見出していってほしい」
ーーこれからの駒大サッカー部へ
「仲間と自分を信じ、みんなで力合わせてやっていく。駒澤の理念を忘れずに、全力で諦めず、最後までやる。これは練習も試合も。そういう風にやっていってくれたら、仮に勝てなかったとしても僕は満足かな」
プロフィール
秋田 浩一(あきた こういち)
1955年9月2日生まれ。茨城県日立市出身。水戸商業高卒業後、駒大、国士舘大で選手としてプレー。1981年駒大サッカー部コーチに就任。1997年監督就任。
02、03、05年 関東大学サッカーリーグ1部優勝
97、01、04、05、06、21年 全日本大学サッカー選手権優勝
02、03、04、10年 総理大臣杯優勝
2008年 全日本大学選抜監督
2009年 ユニバーシアードセルビア大会日本代表監督


