自分とか、ないから。: 教養としての東洋哲学(しんめいP 著)
Date:2025.12.01
書名 「自分とか、ないから。: 教養としての東洋哲学」
著者 しんめいP
出版社 サンクチュアリ出版
出版年 2024年
請求番号 120/55
Kompass書誌情報
本書は、その道のプロフェッショナルが書いた入門書ではない。東洋哲学とは縁もゆかりもなかった著者が、襲いかかってくる虚無感から逃れるため、手当たりしだいに本を読み漁り、最終的に出会った東洋哲学の諸思想を紹介する「哲学エッセイ」(13p)である。
著者は虚無感という「自分」の問題を解決すべく、東洋哲学と向き合うなかで、「自分とか、ない」という、東洋の逆説的な考え方が「心にブッ刺さる」(146p)ようになり、虚無感と折り合いを付けていく(完全に解決していないところも本書の味である)。
本書は難解な哲学思想を解説するのではなく、著者の体験を通して思想のエッセンスを味わうことを主眼としている。そのため、学術的な厳密さはない。ブッダ?龍樹(りゅうじゅ)?老子(ろうし)?荘子(そうじ)?達磨(だるま)?親鸞(しんらん)?空海(くうかい)といった思想家たちの言葉が、ユーモラスに(時には抱腹絶倒(ほうふくぜっとう)も禁じ得ない)語られる。
著者は凄絶な経験(なかなかの体験をしている)によって打ちひしがれてしまったが、東洋哲学の諸思想は、再び前を向いて歩き出すための「道しるべ」となった。本書の魅力は、自らの助けになった思想を単に紹介するのではなく、そこから何を学び取り、どのように「生き方」へ落とし込んでいったのかが語られているところにある。著者のことばは、打ち立ての鉄のような荒っぽさを持ちながらも、飾り気がない分、読者の心に響くものとなっている。
著者を突き動かす原動力となっていたものは、「どうすれば虚無感から脱出できるのか」という、著者自身の、のっぴきならない「問い」であった。
この切実な「問い」があったからこそ、著者は様々な分野(自己啓発本?西洋哲学?東洋哲学)の参考文献を渉猟し、知的な格闘を経て、著者なりの「生き方」という解答を導き出したのである。
実はこれこそ、皆さんが大学で行う「研究」の出発点と同じなのである。大学における学び(研究)とは、「調べ物」ではない。「どうしても答えが知りたい(答えを導きたい)」という、自分にとっての「問い」を見つけ、それに熱意をもって取り組み、何らかの解答(ささやかなものでも構わない)を引き出す一連のプロセスが研究である。研究は冷静に行うものだが、「問い」に取り組んでいる時の心は結構アツいのである。
もちろん、学生の皆さんが本書をレポートや卒業論文の参考文献にすることはないであろう。しかし、学術書や専門書とは異なる角度から、「自分にとっての「問い」を持って学ぶことの大切さ?面白さ」を知ることができるはずだ。
仏教学部 講師 横山 龍顯