平成29年度 入学式 総長祝辞
本日ここに平成29年度駒澤大学入学式にあたり、晴れて本学に入学を許可され、入学された新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。併せてご列席のご親族の皆様に対し、ご来賓の関係者各位と共に教職員一同、心からご子女のご入学をお祝い申し上げます。
ご案内の通り、学校法人駒澤大学は、仏教の教え、なかんずく曹洞宗立宗の精神を建学の理念として開学致しました。淵源をたどれば425年前、江戸駿河台にあった名刹吉祥寺に設置された旃檀林学寮に始まります。校歌の中で旃檀林 旃檀林とリフレインされる由来です。「旃檀は双葉より香んばし」という旃檀の林には雑木は1本も生えず、そこに住むことができるのは百獣の王の獅子だけだといいます。本学で学ぶことになった皆さんは、これほどの気慨を持って、それぞれの専攻課程の学問を存分に修得されますようお願いいたします。
現今、世界情勢は混迷を極め、先が見通せない新時代の到来に人々は危機感を募らせています。直近のアメリカやヨーロッパ諸国で高まる偏狭なナショナリズムは、孤立主義?保護主義?排外主義を強め、地球規模で持続可能な共生の道を探って来た人類の叡智は後退の兆しを見せています。信頼に足る時代の空気に乏しく、人間の品性は劣化現象の一途をたどり、自分たちだけ得をすれば他はどうなっても構わないとばかりに、人命を殺傷し我欲を恣いままにしています。はたして世界はこれからどこへ向かうのでしょうか。
紀元前5世紀、仏教を興した釈尊は、青年時代に自分は何のためにこの世に生れたのか、己れの人生を何う生きたらいいのか、深く思い悩まれ、坐禅を行じ抜いて、人生の一大事はダンマに目覚めること、すなわち智慧と慈悲の心をそなえた人間を創ることだとさとられたのでした。
本学の建学の理念は「行学一如」と表現されますが、この句の意味は、釈尊の慈悲を行じ、釈尊の智慧に学び続けることこそ、人生における最も大事な真実であるというほどの意味です。
永平寺を開創された道元禅師は生涯、釈尊の坐禅の教えを讃仰され、名著『正法眼蔵』「現成公案」の巻でこういわれます。「仏道をならうというは自己をならうなり、自己をならうというは自己をわするるなり、自己をわするるというは万法に証せらるるなり、万法に証せらるるというは自己の身心、他己の身心をして脱落せしむるなり」と明言されます。坐禅の中であるがままにいのちの実相が露わになると、他者を固く隔てていた「自分の壁」は不用になり、あらゆるものと呼び応わしている己れの本来の姿が明らかになり、やがては山も川も草花も樹木も、卵から生れ、母胎から生れ、湿気から生れ、想像から生れたものまでが、皆かけがえのない一回性の生命現象として現われていることに気づかされるというのです。このダンマ、この真実が体現すると、この世にありとしてあるはかなくももろいいのちが我がこととしていとおしめ、自分のことは後回しにしても先に他の為に行動できるそういう人間が出来上がるはずだというのです。
本日入学された皆さんには、是非、本学の建学の理念に照らして、深くいのちの原点に想いを致し、仏の智慧に学び、仏の慈悲を行じ、信ずるに足る、誠を尽くせる人生、敬うべき、愛するべき人生とは何かを問う真の学問を、真の教養を身につけて頂きたいと願います。
本学の恵まれた教育環境の中で、それぞれの専攻学科で最新の学問技能を修得することは勿論のこと、それぞれに味わい深い人格を陶冶され、実り豊かなキャンパスライフを送られますよう願い、皆さんが身心堅固で無事学業を成就されますことを心から念願し、一言、祝辞といたします。
平成29年4月8日
学校法人駒澤大学 総長 池田 魯參